東向日記

東向の窓から始まる1日

BBA化を止めろ

気がつけば、WALKMANには中高のころから聴いてる曲が多く、新しい曲を入れるのが億劫になっていたのである。

中高のころ、あんなに見ていた音楽番組も今はMステくらいしか知らないし、仕事で見ることはほとんどない。

誰が流行ってるのか、ドラマの主題歌で知る程度だ。そもそもドラマも1クール1本程度しか見ないしね。

米津玄師。名前の正しい読み方を知らない程度。

Lemonはめっちゃ刺さったけどな!めっちゃリピートしたけどな!

大人はなぜこんなにも世に流れる新曲を聞こうとしないのか。なんて、子供の頃はそう思っていたのに。そんな大人になってますね!

 

 

そんな私は昨日、休みなのに早起きしちゃって、しとしとと降る雨だし、暇で本棚の整理をした。

思い立ったのは、フルポン村上の先日のプレバトの俳句のせいである。

【作家別に 揃え直して 夜は長し】

わかるなぁ、わかるよ。

なんともしみじみと本棚を眺めましたよ。

最近のどハマり穂村弘の本たちを本棚のどこに納めるのか。

本棚なんて、もうね、神棚みたいなもんだから。

自分の精神性みたいなものを丸裸にされる気がする。本棚見られるの恥ずかしくないですか?

一つ一つについて語れるほどはみんな好きな本です。でもまとまると、ああこの人の嗜好こういうのね。みたいな。なんか、性癖バラされるみたいな恥ずかしさがある。他人に見せるものではないのでいいんだけど。 

というわけで、揃え直して、46冊を売りに出したわけだ。ブックオフ46。620円になりました。

時代小説ばっかり読んでた時期が長かったんです。

あんまり引きずられないから。舞台が自分と重ならないから、物語に引きずられない。

最近、少しずついろんなパターンに手を出せるようになってきました。

引きずらなくなってきた。

 

それはさておき、読んだ本というものは、少なからず自分を作っているんだと思う。

 

本棚に空きを作る。

 

しばらくしてこなかったインプットをする時期が来たような気がした。

そんな気になったなんて、何かあるに違いない。

自分で本棚を整理しといて、なんですが。

いや、村上の俳句がきっかけなんですが。

それが琴線に触れるということは、やっぱなんかあるんだよね。きっと。

偶然はない。必然だけだとしたら。

 

そのBGMに、件のWALKMANで昔馴染みの音楽を流していたのだけど、なんか違うな。

と、思ってこの前美容院に行ったときのこと思い出した。

担当美容師くんは、ツタヤとかでレンタルしたり配信買ったりしてWALKMANで聴いてるという話をしたら、びっくりしていた。

Apple Musicいいっすよー。と言ってたっけな。

清水の舞台から飛び降りて(大袈裟)Apple Music加入。

そこから、怒涛のApple Music天国である。

知らないアーティストの曲が、次から次へと入ってくる。

たまらない。

こんな音楽が楽しいのは久しぶり。

定額聴き放題これは音楽の聴き方を変えるんだな。

AIが私の傾向を探ってきっと今後名案を提示してくるに違いない。

とりあえず、あいみょんのイメージが違いすぎたし、きのこ帝国聴きながら寝るのもいいし、菅田将暉がアイドル路線かと思ったら割と曲も声も好きだったし、ヒゲ男も良かったし、ミセスグリーンアップルもよかったし、とりあえずウマーベラスをめっちゃ聴いている。

テレビよりいまはApple Musicと穂村弘と短歌とサッカーがあれば割と楽しい。

そんな風に劇的な変わった1週間。

BBAになるときは、新しいものを取り入れようとしなくなったとき。

あー危なかった。

Apple Musicありがとうありがとう!

音楽のBBA化はひとまず安心だが、あらゆる面でBBA化と直面するのだろう。

恐怖しかない。

BBA化との戦いは続いていく。

飽くなき好奇心を、持ち続ける。

それに尽きる。

 

 

 

 

忘れちゃったじゃん!

いま、私は空前の短歌ブームの最中にいる。

身の回りに起きること、目に入ること全てを三十一文字にまとめたくなる病にかかっている。

もはや、病である。

朝の満員電車で電車が揺れてコツンと当たるたびに不快そう振り返るおっさんも、

ちらりと見てしまったLINEの画面で方言で喋るお兄さんも、

そのお兄さんのスマホの画面のポップアップ広告がAGAだったことも、

週刊新潮の下世話な中吊りも、

窓から見えるタワマン群も、

前を歩くお兄さんの香水の奥の生乾き臭も。

 

外に出て1時間も経たないうちに、沢山の言葉がぶわーっと広がってくる。

今まで、思ったり感じたりしても、素通りしていたことが全て短歌になる気がして、もぞもぞする。

買いたてのおもちゃで遊ぶ子供である。

 

穂村弘さんのエッセイで、穂村さんは短歌というスイッチがあるから、嬉しい日も悲しい日も大丈夫みたいなこと書いてたけど、なるほどなぁ。と思う日々なのである。

全てが短歌になりそうな気がするもんね。

そして、その事象を三十一文字に削ぎ落としてくんだもんな。なんかイケそうな気がしてくる。

無敵感ある。

でも、実際詠もうとすると、無力感しかないんだけど。

そんな穂村さんのエッセイは、あー、わかるぅうううの連続で、とても楽しい。

そして、凡人の私の感性には計り知れない気もするし、わたしもちゃんと言語化しなきゃと思わせたりする。

感じたことを言葉にするのは難しい。

言葉で考えているはずなのに、脳みその中は何をベースに考えているんだろう。

快、不快のような感覚だけで生きているわけではないのに。

言葉をベースに考えてるはずなのに、なんか言葉にまとまらない。

きっと、みんな色んなことを感じながら生きているのに言葉にしないんだろうと思うし、できないんだと思う。

思ったことを言葉にしていくのは難しい。

 

 

一瞬ブワーーーっと、表現が浮かんでくることがある。でも、遠くの救急車の音とか、そのときすれ違った人の靴の色とか、目の前のサラリーマンのイヤホンのケーブルの結び目ぐっちゃぐちゃだな!なんかが邪魔して、アレ?忘れちゃっ たな。なんだっけな。すげーいいの浮かんだのに!!!となる。

忘れちゃうくらいだから、大したことないんだろうけど。

だから、最近はiPhoneのメモに殴り書くことにしているけど、もしかしたら邪魔してきたものの方がいい歌になるかもしれないよね。

忘れちゃうくらいだから、大したことないよねって思ってることも、忘れることがもったいなくて困る。

なんて、欲張りかつ節操のないことを考えている。

 

 

 

 

東向きの家

東向の家に住んで、16年も経つ。

16年も同じ家に住むとは思わなかった。

大学を出て、働いて。

それだけだ。

人生に大きな変化はなかった。

この家に誰かが棲み着くこともなかった。

長期この家を離れることもなかった。 

大金持ちになることもなかった。

なんという平坦な人生だろう。

出会いも別れもあったけれど。

本当に好きな人なんていなかったかもしれない。

この家に住んだころに生まれた従姉妹の子供は、たいそう頭の良い高校生になっていた。

 

16年かけて作ったおもちゃ箱のようなこの家は、充電器に似ている。

私専用の、充電器だ。

私は朝、充電器から外に出る。

考えて、働いて、すり減って、夜に帰ってくる。

そこで、iPhoneWALKMANにケーブルをさす。

同じように自分の作ったご飯を食べて、冷たいビールを飲んで、熱いお茶を飲む。

家に帰れば私だけのWi-Fiが飛んでいて、軽々と掴むことができるのだ。

好きな本、好きな匂い、好きな食べ物、好きなお茶、好きなコーヒー、好きなテレビ、好きなインク、好きな万年筆、好きな紙、1人の時間、車の音、サイレン、冷蔵庫のモーター音、洗濯の音、部屋の匂い。

そんなものをたくさん掴みながら、いま私は充電をしている。

私と同じ型番のヒトがいて、同じ充電器を使えるとしたら、私はその人とケッコンするのかもしれない。

モバブーを2台で分け合って充電したら、充電速度が遅くなる。

それより、コンセントから2人同時に急速充電できた方がいい。

充電の電気のキャパシティは大きい方がいい。

慎ましやかにモバブーを分け合ったら、きっと倒れてしまう日がくる。

まことしやかにそう語っているけれど、私はまだ、その電気の名前を知らない。

そして、1人で西向きの玄関から出て行く。