東向日記

東向の窓から始まる1日

忘れちゃったじゃん!

いま、私は空前の短歌ブームの最中にいる。

身の回りに起きること、目に入ること全てを三十一文字にまとめたくなる病にかかっている。

もはや、病である。

朝の満員電車で電車が揺れてコツンと当たるたびに不快そう振り返るおっさんも、

ちらりと見てしまったLINEの画面で方言で喋るお兄さんも、

そのお兄さんのスマホの画面のポップアップ広告がAGAだったことも、

週刊新潮の下世話な中吊りも、

窓から見えるタワマン群も、

前を歩くお兄さんの香水の奥の生乾き臭も。

 

外に出て1時間も経たないうちに、沢山の言葉がぶわーっと広がってくる。

今まで、思ったり感じたりしても、素通りしていたことが全て短歌になる気がして、もぞもぞする。

買いたてのおもちゃで遊ぶ子供である。

 

穂村弘さんのエッセイで、穂村さんは短歌というスイッチがあるから、嬉しい日も悲しい日も大丈夫みたいなこと書いてたけど、なるほどなぁ。と思う日々なのである。

全てが短歌になりそうな気がするもんね。

そして、その事象を三十一文字に削ぎ落としてくんだもんな。なんかイケそうな気がしてくる。

無敵感ある。

でも、実際詠もうとすると、無力感しかないんだけど。

そんな穂村さんのエッセイは、あー、わかるぅうううの連続で、とても楽しい。

そして、凡人の私の感性には計り知れない気もするし、わたしもちゃんと言語化しなきゃと思わせたりする。

感じたことを言葉にするのは難しい。

言葉で考えているはずなのに、脳みその中は何をベースに考えているんだろう。

快、不快のような感覚だけで生きているわけではないのに。

言葉をベースに考えてるはずなのに、なんか言葉にまとまらない。

きっと、みんな色んなことを感じながら生きているのに言葉にしないんだろうと思うし、できないんだと思う。

思ったことを言葉にしていくのは難しい。

 

 

一瞬ブワーーーっと、表現が浮かんでくることがある。でも、遠くの救急車の音とか、そのときすれ違った人の靴の色とか、目の前のサラリーマンのイヤホンのケーブルの結び目ぐっちゃぐちゃだな!なんかが邪魔して、アレ?忘れちゃっ たな。なんだっけな。すげーいいの浮かんだのに!!!となる。

忘れちゃうくらいだから、大したことないんだろうけど。

だから、最近はiPhoneのメモに殴り書くことにしているけど、もしかしたら邪魔してきたものの方がいい歌になるかもしれないよね。

忘れちゃうくらいだから、大したことないよねって思ってることも、忘れることがもったいなくて困る。

なんて、欲張りかつ節操のないことを考えている。